导演:中島隆博
本書が考えようとしたのは、道具としての言語ではなく、思想としての言語が、日本の思想史においてどのように展開したかである。 第一章で取り上げた空海の言語論は、その展開の方向性を大きく規定した。真言密教は、言語を鍛え直すことで、「今・ここ」という次元に直接秘密の次元を接続させて、衆生を救済する方途を示そうとした。言語は人間の言語を最初から超え出るものであった。 第二章では、『古今和歌集』の仮名序と真名序を取りあげ、その背景にある中国の詩論との比較を行った。紀貫之たちは、詩歌の起源にある秘密を、究極的には文であると考えた。そこには、空海が考えたような、言語と物そして心が織りなす入れ子状の構造や、言語が人間を超え出る可能性がやはり見出されたのである。 第三章では、本居宣長と夏目漱石を通じて、日本語が普遍にどう開かれていくのかを考えた。宣長は、中国という...(展开全部)